シャンソン歌手で俳優の美輪明宏(みわ あきひろ)さんが、2026年6月20日午前9時30分、老衰のため都内の自宅で永眠した。91歳だった。2026年6月はガッツ石松さんの死去もあって、芸能界にとって忘れがたい月となった。所属事務所「オフィスミワ」が6月28日に公式サイトで訃報を発表した。長崎被爆の体験から平和を訴え続け、三島由紀夫との合作「黒蜥蜴」で世界的な名声を得た、日本を代表する芸術家の生涯に幕を閉じた。

TL;DR

項目内容
死去日2026年6月20日 午前9時30分
死因老衰(享年91歳)
本名丸山明宏(1971年まで)
出生1935年5月15日 長崎県長崎市
被爆1945年8月9日 長崎市で10歳の時に被爆
デビュー1952年 16歳でプロ歌手デビュー
代表曲「メケ・メケ」「ヨイトマケの唄」
代表作「黒蜥蜴」(三島由紀夫演出)
声優もののけ姫(モコの声)、ハウルの動く城
最期の言葉「ありがとう」

美輪明宏さんとは誰だったのか

美輪明宏さんは、1935年5月15日に長崎県長崎市で生まれた。出生名は寺田臣吾(てらだ しんご)。幼少期に両親が離婚し、父方の丸山家に引き取られた。

長崎被爆と少年時代

1945年8月9日、10歳の時に長崎市自宅で原子爆弾の被爆を受けた。原爆により父の貸付先が相次いで破産・死去し、一家は貧困に陥った。終戦後、映画で聴いたボーイソプラノに衝撃を受け、声楽とピアノのレッスンを始める。

高校を中退し、16歳でプロの歌手としてデビュー。進駐軍のキャンプ廻りで歌い、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」のステージに立つようになった。

「メケ・メケ」の大ヒットと革命

1957年に発表した「メケ・メケ」が大ヒット。妖艶な歌声と洗練されたファッションで、当時の日本社会に衝撃を与えた。日本におけるシンガーソングライターの元祖といわれる存在だ。

三島由紀夫との出会い -「黒蜥蜴」

1967年、寺山修司の「演劇実験室◎天井棧敷」に出演。その姿を見た三島由紀夫が「黒蜥蜴」(江戸川乱歩原作)の主演に起用。空前の大絶賛を博し、ニューヨーク・タイムズにも取り上げられ、世界的ヒットとなった。

三島由紀夫は美輪さんに対して「君の短所は俺にほれないこと」という有名な言葉を残している。

「ヨイトマケの唄」と平和への活動

1965年に発表した「ヨイトマケの唄」は、自身の被爆体験と人間への愛を歌った代表曲。2012年に紅白歌合戦に初出場し、91歳の生涯まで歌い続けた。

長崎被爆者として一貫して反戦と平和を訴え続け、「つらい出来事の後には、必ずうれしいことが訪れる」と語り続けていた。

声優としての活躍

宮崎駿監督作品では、アニメーション映画『もののけ姫』(1997年)のモコの声、『ハウルの動く城』(2004年)の荒地の魔女の声を担当。独特の存在感で、若い世代にも広く知られる存在となった。2026年の映画界では是枝裕和監督「箱の中の羊」がカンヌでスタンディングオベーションを記録するなど、日本映画の魅力が世界に発信され続けている。

死去の経緯と最期

所属事務所によると、亡くなったのは2026年6月20日午前9時30分。この1年は高齢のため仕事をセーブし、体力の回復に努めていた。約3ヶ月前に体調を崩してからは自宅で静養を続けていた。

最期は家人に「ありがとう」と一言感謝の言葉を伝え、静かに目を閉じた。公式サイトでは「まさに眠るように天に召されました」と伝えられた。

葬儀・告別式は本人の意向で近親者だけで執り行われた。お別れ会や偲ぶ会の予定はない。香典・供花は辞退されている。

芸能界からの追悼の声

訃報が発表された6月28日、芸能界からは追悼の声が相次いだ。

  • 爆笑問題(太田光・田中裕二)- 「『あなたたちは売れるわよ』と言っていただけて、すごくうれしかった」
  • 槇原敬之 - 「お会いするたびに温かくハグをしてくださり、『良いことがたくさんありますように!』と声をかけてくださった」
  • 大和田伸也 - 「ご一緒させていただいた時間は、私にとって宝物です」
  • SUPER EIGHT(村上信五・丸山隆平・安田章大)- 「芸能の美しさと人間としての矜持を背中で教えてくださる唯一無二の存在」

美輪明宏さんの主な功績

出来事
1935年長崎県長崎市に生まれる
1945年10歳で長崎被爆
1952年16歳でプロ歌手デビュー
1957年「メケ・メケ」が大ヒット
1965年「ヨイトマケの唄」発表
1967年三島由紀夫「黒蜥蜴」に出演
1997年もののけ姫で声優デビュー
2004年ハウルの動く城に出演
2012年紅白歌合戦初出場
2026年6月20日老衰のため91歳で死去

SNS上の反応

美輪明宏さんの訃報に対し、SNS上では追悼と驚きの声が広がった。

  • 91歳と思っていたのに、まだ若かった
  • ヨイトマケの唄は人生の宝物
  • 被爆者として平和を訴え続けた人、ありがとう
  • もののけ姫のモコの声、子供の頃から知っている
  • 時代を超えた美の化身がいなくなった

まとめ

美輪明宏さんは、長崎被爆という壮絶な体験から生まれた歌と演技で、日本と世界の文化に計り知れない貢献をした。「死というものはないんです。ただ肉体がなくなるだけ」と語った彼の言葉は、今も多くの人の心に響き続けている。

91年の生涯を「正と負の繰り返し」と振り返った美輪さん。その「ヨイトマケの唄」が描いた深い美しい愛の世界は、これからも多くの人の心に生き続けるだろう。

よくある質問(FAQ)

美輪明宏さんの死因は何ですか?

老衰でした。所属事務所「オフィスミワ」によると、2026年6月20日午前9時30分、都内の自宅で最期を迎えた。約3ヶ月前に体調を崩し、自宅で静養していた。

美輪明宏さんはいつ生まれ、何歳でしたか?

1935年5月15日生まれ、享年91歳。長崎県長崎市出身。本名は丸山明宏(旧芸名)。

美輪明宏さんの代表曲は何ですか?

「メケ・メケ」(1957年)と「ヨイトマケの唄」(1965年)が代表曲。特に「ヨイトマケの唄」は、被爆体験と人間への愛を歌った名曲として長く親しまれている。

三島由紀夫との関係は?

1967年に三島由紀夫が演出した舞台「黒蜥蜴」で主演を務めた。三島は美輪さんに対して「君の短所は俺にほれないこと」と語ったという逸話がある。

美輪明宏さんの葬儀は?

本人の意向で近親者のみで執り行われた。お別れ会や偲ぶ会の予定はなく、香典・供花も辞退されている。


Sources:

  • 美輪明宏さん死去 91歳 老衰のため 公式発表【全文】 - オリコンニュース (2026年6月28日)
  • 【発表全文】美輪明宏さん、老衰で死去 91歳 - 日刊スポーツ (2026年6月28日)
  • 美輪明宏さん死去、91歳 平和への切なる思い遺して - デイリースポーツ (2026年6月29日)
  • 槇原敬之 美輪明宏さんを追悼 - スポニチ (2026年6月28日)
  • 美輪明宏 - Wikipedia